母へ 50代 北海道 第7回 入賞

もう一度 会えたなら
小杉 佳緒里 様 50歳

 母さんが亡くなってからもう四年が経つのですね。今から思えば辛い選択をせまったものだと、振り返ることがあります。「最期の時をどこで迎えたいか」なんてベッドの上の本人に直接は尋ねないよね。でもね、姉さんたちも私も、苦労続きだった母さんに、最後の最後くらいはわがままをいわせてあげたいと思っていました。小さな声で「家で死にたい」といった時に、私たちの覚悟は決まったのです。それから付き添いの当番を決めて、数日ごとに三人が交代して家での日々を過ごしました。病人はわがままになるというけれど、母さんは違いました。むくんだ足をさすった時も、薬を口に運んでも、うちわであおいでもいつも「ありがとう」といってくれました。

知っていましたか?姉さんは母さんの好物のメロンを常に冷蔵庫に冷やしていました。ほんの一口しか食べられなくなっても、いつも一玉まるごと買って用意していました。「もっとちょうだい」っていうかもしれないからと。そのやさしさも母さんゆずりですね。そして最期の時、家族みんながベッドの脇で「さようなら」をいえたのは、今でも私の誇りになっているのです。

ひとつ聞いてみたいことがあります。夫と二人で見舞った時のこと。私が不在の時に夫に尋ねたそうですね、「カオリと結婚して幸せだったかい?」と。「あの子は心のきれいな子だから、よろしくたのみます」と続けたと、帰りの車の中でききました。私、涙が止まらなくて大変でした。「何て答えたの?」と尋ねても夫は教えてくれません。親だもの、が口癖だった母さん、いくつになっても娘のことが心配だったのですね。ありがとう。

これから遠い先、天国で会ったらその答えを教えてください。そのころは母さん似の私だから双子に見えるかもしれませんね。親はすごいですね、自らの最期をもって、残された私たちの死への恐怖心を和らげてくれたのです。

だからその日がくるまで、私も一生懸命生きていきます。

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