母へ 60代 愛知県 第5回 入賞

校長になりましたよ!
加藤 正雄 様 61歳

 あれは平成16年12月の早朝、確か初雪が降った日でしたね。母さんがトイレで倒れ、救急車で病院に向かった日です。母さんは、あの日からおよそ2年半、意識がありませんでした。長い眠りの中で、母さんはどんな夢を見ていましたか。

そして、ついに最期の日が来ました。私は土曜日なので歯の治療に行っていました。すると、携帯電話が鳴り、母さんが危篤だという知らせを聞きました。私はすぐに病院に向かいました。病室では母さんは苦しそうに息をして、担当医の先生が手で呼吸をさせていました。しばらくすると母さんは眠るように息を引き取りました。悲しくて、つらくて、かわいそうで、全身が震えたことを今でもはっきりと覚えています。

思えば倒れる1年前に私が教頭に昇進した時、母さんは、大喜びで、私に「モーニングを買いなさい」と言って50万円という大金をくれました。私が、「モーニングを着るのは校長だけだよ」と言っても、ただ笑っているだけでした。

母さんの夢は教師になることだったんですよね。しかし、兄弟姉妹が多く、母さんは長女だったため、まともに学校に行けなかったんだとよく聞きました。

母さんは自分の夢を私に託しました。私が教師になった時も喜んでくれました。「教頭になったよ」と母さんに言った時の、母さんのうれしそうな笑顔は忘れることはできません。

平成18年7月29日の午後、母さんは天国へ旅立ちました。母さん、私は校長になりましたよ。母さんの夢を実現させましたよ。平成20年4月1日にいただいた校長辞令を仏壇の前に置きました。

母さん、見てくれましたか。あの50万円でモーニングも買いました。卒業式に着ました。母さんにもっと長生きしてもらい、私が校長になった姿を見てほしかったと思います。残念です。

そして、今年の3月に38年間の教員生活を無事に終えることができました。ありがとうございました。母さんの後を追うように、平成19年1月2日に父さんが亡くなりました。

あの世では二人一緒でよかったですね。仏間の父さんと、母さんの写真がいつも私たちを見守ってくれています。私の家族はみんな毎朝仏壇に手を合わせることが習慣になっています。母さんはいつも私の心の中で生きています。母さんの笑顔は生涯忘れません。

関連作品

  1. 叔母よ、安らかに……

  2. 命日の味ご飯

  3. 父の決断

  4. 母親に戻った母

  5. 義母への詫び状

  6. 母さんごめんな。約束したのに

PAGE TOP