母ちゃんの死んだ年まであと十年。ようやく八十二才になったよ。年回りも同じ寅年。
平家落人(おちうど)伝説の残る県境の山間部、一反(いったん)歩(ぶ)百姓、その上婿養子。三男、三女の子供を産み育ててくれたなあ。
長女は九十四才、次女は八十八才、私が八十二才、弟が七十九才、四人も残っているよ。
無病息災、皆んなで毎日お祈りしていた。神棚のお札の御利益だね。
戦後の記憶、本当に何もなかったね。大根の気節には、大根めし、大根汁、大根のひき菜、たくわん。それでも皆んな元気に成長したなあ。
私が二十歳の時、横浜に出る時、母ちゃんは新聞の切れ端に金を包んで渡してくれたよね。
「いつでも帰ってこいよ。家はいつでもあるからなあ」
そんな別れの言葉で私は旅立ちしたね。電車に乗ってから紙切れを広げて見たら、一万円が入っていた。
私はおもわず下着の中に入れたよ。肌身離さず、母ちゃんの毎日の苦労を思えば、まだまだ、一万円には手がつけられなかったよ。一万円は私のお札のように身にはりつけておいたよ。
母ちゃんは仲人名人だったなあ。還暦で同級会に帰省した時、級友が「みっちゃんの母ちゃんに仲人してもらった。嫁と家を見て行ってくれ」って云われて驚いた喧嘩相手。
吃驚(びっくり)することがあるよ。里帰りしていた、孫息子がね、ベラルーシの娘さんと結婚して曽孫は女の子二人、中二と小三。外人そのもの、私の福島訛(なま)りをなおすのよ。笑っちゃうよね。日本人だなってよ。
夫の墓参りは、息子家族と五人で、毎月行っているよ。
福島と、横浜と入っている墓は違うかもしれないが、いずれ一緒の処に居れるといいな。
一万円は六文銭に使うよ。待っててくなんしょ。親孝行はそれからするつもりでいるの。