母へ 50代 京都府 第15回 金賞 広告掲載

母の「伴走者」から「後継者」となる!
鈴木 美智子 様 50歳

 「お母さん、マラソン走ってみたい。一回限りだろうから、明日から一緒に走って!」

お母さんのその言葉で、私達母娘の二人三脚でのマラソン人生が始まったね。

 「継続は力なり」「出来る人と違って、出来なければ人の何倍も何十倍も努力しないといけない」と言い、たゆまぬ努力を重ね、マラソンが生き甲斐となったお母さんは、いつしか「一回限り」を「一生走る」に言い換えていたよね。

 走り出して三年目、「一回限り」との思いで参加したホノルルマラソンだったけれど、すっかり魅了され、三十二年間参加出来たね。

 走歴十年を記念し、「一生一度の思い出作りに」と、百キロウルトラマラソンに挑戦したお母さん。ウルトラマラソンの魅力にも触れ、計八回の百キロレースを走破したお母さんは、やっぱりスーパーウーマン!

 次々と自己の限界に挑戦し、それをクリアするお母さんの姿は、私をワクワクさせ、「不可能なんて無いのでは」と思わせてくれた。

 お母さんと過ごした四十七年間、伴走をした三十五年間を、「本当に親孝行だね」と多くの方に言われたし、お母さんにもいつも感謝されたね。お母さんは、「ただ『ありがとう』の言葉では気が済まない」

と、心のこもった感謝の言葉と共に、毎日繋いで走ったお母さんの左手の手形が押された感謝状もプレゼントしてくれたね。

 でも、私としたら、二十二歳で失明し、死を選ぼうとした時期もあったお母さんが、マラソンを転機とし、「私より幸せな人がいるのかしら」「目で感じる光は無いけれど、心はいつもいい天気!」と言いながら、輝いて生きている、そのお母さんの側に居られることが本当に幸せで、私の原動力でした。

 恒例のホノルルマラソンより帰国後、癌が発覚、病勢が強く、半年で天国に旅立ってしまったけれど、お母さんの強い思いは、一緒に歩んだマラソン人生の中で、しっかり受け継いでいるからね。

 「三キロから始めたマラソンが、百キロまで走れるようになった。まさに継続は力なり。マラソンに出逢い、生きる喜びを感じられた。この喜びを、一人でも多くの人に伝えたいし、味わって欲しい。人生を無駄にせず、誰かの役に立てる生き方がしたい!」

 お母さん! 今後は、「伴走者」から「後継者」となって、お母さんの強い意志を継ぐから、どうかずっと見守っていてね!

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