父へ 40代 鳥取県 第5回 入賞

親父の卵焼き
前田 明久 様 45歳

 親父が最後に卵焼きを作ってくれたのは、お袋が入院していた時のことだった。

親父が作ってくれる卵焼きは、お袋が作ってくれるものと違って、甘さが引き立って旨いものだった。

ところが、その時だけ、卵焼きの味がいつもと違っていた。いつもの甘さがなく、しょっぱい味だった。さすがに、これは食えたものではないと思った俺は、一口食べただけで卵焼きを捨ててしまった。もちろん、そんなことが分かったら親父に叱られると思ったから、見つからないように、こっそりと捨てた……そのつもりだった。

でも、翌朝ごみ袋を見ると、隠しておいたはずの卵焼きが、見える形で置いてあった。 これは、叱られるぞ……と思いつつ親父の顔を見ていたが、何も言わなかった。いや、何も言ってくれなかった。その代わり、親父の横顔が、ふと淋しそうに見えた。

何だか悪いことをした……と思いながら、わびの一言が言えなかった。それから三日後、親父は脳内出血で倒れてしまい、そのまま帰らぬ人となってしまった。

その時、俺は気付いた。親父の卵焼きの味がまずかったのは、脳内出血の前触れの体調不良のせいだった、ということに。

親父、俺は後悔したよ。親父が体調不良だったことに気付かなかったことを、そしてそんな親父が作ってくれた、最後の卵焼きをろくろく食べずに捨てたことを。

それだから、通夜の時の仕出し料理の中に卵焼きを見た時、グッと胸が詰まる思いがして、涙が止まらなかった。お涙頂戴物のドラマを見ては泣いていた親父のことを、バカみたいだと笑っていた俺だったけれど、やっぱり俺は親父の息子だったよ。今では、俺が親父の息子であることを誇りに思っている。

今でも、卵焼きを見ると、親父の卵焼きを思い出す。あのしょっぱい味のことを。

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