父ちゃん、そこからオレが見えますか。オレ、来年は傘寿。父ちゃんの享年を遙かにこえました。丈夫に育ててくれてありがとう。
実は父ちゃんに詫びることがある。「そんなこと分かってたよ」と許してくれるか、それとも「このヤロー」と苦笑するだろうか。
小学6年の時、学校で親の職業調べがあって倉山先生が「伊東んとこは?」と訊いたとたん、「ウオショウ」なんて答えちゃった。魚屋って言うよりカッコイイと思って。
放課後、職員室へよばれました。先生は「なあ伊東、お前は父親の仕事を尋ねられて『ウオショウ』なんて言ったよなあ。なんでそんな気取る必要があるんだ。なんで魚の行商ですって言わないんだバカモン!! 7人もの子の為に必死で働く父親を蔑んでいるのか!!」とえらい剣幕で叱られました。そして職業に貴賎なしという説教が延々と。
学校帰りに父ちゃんがリヤカーを停めて商っている姿や客に世辞笑いしているところをみると悲しくて、情けなくて。うちでは寡黙な父なのに……と複雑な気持ちになりました。
その非を悟ったのは自分が人の子の親になり、世の酸味を知る年齢に達してからです。親孝行の真似事でも─と思った時はもう父ちゃんも母ちゃんも泉下の人でした。
オレが魚屋を継ぐことを拒否し、進学を志した時、言ってくれた一言、忘れません。
「学問して一体なんになるんだ。でもゼニの心配だけはしなくていいからな」
後年、オレが教職に就いた時、「あいつがなあ」と涙ぐんだとか。お客さんには「しがねえ魚屋の小伜が先生だとよ。笑わせやがらァ」と、それとなく自慢していたと聞いた。これが唯一の親孝行だったかもしれません。
父ちゃん、ゴメンね。そしてありがとう。今、胸を張ってでっかい声で叫ぶ。「オレのオヤジは魚の行商だったぞォー!」と。