ばあちゃんが亡くなってしまってから、もう三十年近く経ちます。ばあちゃんの居ない世界の中に一人残されるのは、高校生の私にとって辛いものでした。
でもね、ばあちゃん、心配しないで。私は、今、とても幸せです。
元々口数が少なく、今でもたまに何を考えているのかわからないことがあるけれども優しい夫と、今では私の身長も軽く抜かしてしまった、たまに生意気だと思うこともあるけれど、しっかり者の優しい息子と三人で、毎日を笑いながら過ごしています。
夫も息子も、ばあちゃんに会ってもらいたかったよ。ばあちゃんも、きっと二人を大好きになると思うし、二人もきっとばあちゃんのことが大好きになると思うよ。
両親に愛されていない私の幸せを、ばあちゃんはいつも考えてくれていたこと、沢山の愛情を私に注いでくれたこと、私は今でもちゃんと覚えています。
息子がまだ小さかった頃に読んだ育児書の中にあった「誰か一人からだけでも愛されて育った人間は、取り返しのつかないような間違いを犯すことはない」という一文を読んだ時、私はばあちゃんに愛されて育ったお蔭で、真っ当に生きてこられたんだと改めて思いました。
寝苦しい夏の蒸し暑い夜、網戸の側に敷いてある布団に横になって、ばあちゃんが扇いでくれる団扇(うちわ)の風が心地良くて、いつの間にか眠りについたこと、今でも私の大切な思い出の一つです。
ばあちゃん、覚えてる? 私もいよいよ寿命が尽きて、そちらの世界に行くことになったら、ばあちゃんが私を迎えに来てくれるって約束してくれたこと。いつか、その日が来たら、またばあちゃんに会えること、大人になった私の話を聞いてもらうこと、私は今から楽しみにしています。
だから、その日が来るまでは、ばあちゃんに会った時にちゃんと褒めて貰えるように、精一杯頑張って生きていくよ。暫くまだ待っていてね。